大河ドラマ「鎌倉殿の13人」佐藤浩市の熱演に期待!上総介広常の強烈なキャラクター【上】:2ページ目
頼朝公が挙兵!さて、広常は……
「まったく、四面楚歌とはまさにこの事……どうにか切り抜けねばならぬが……」
そんな中、治承4年(1180年)に頼朝公が挙兵。
「さて、どうしたものか……」
これに乗っからぬ手はない!と思うのは頼朝公が成功した結果を知っている現代人の感覚であって、当時の坂東武者たちからすれば「ネズミが富士山に背比べを挑もうとする(要約)」くらいの無謀な賭けでしかありません。
ちなみに上のセリフは、頼朝公への加勢を拒否した山内首藤経俊(やまのうち すどうつねとし)のものです。
「それでも、我が大軍をもってすれば……!」
平清盛政権を完全に打倒するのではなく、ある程度の抵抗≒実力を見せた上で和平を勝ち取り、坂東における地位を保証して貰う可能性については考えていたでしょう。
さぁ、これを踏まえて、頼朝公に与するか否か。挙兵に加勢するよう再三の使者をのらりくらりとかわしながら、広常は頼朝公を見極めようとします。
ようやく合流、頼朝公の返答は?
「あるいは……」
頼朝公に将器なく、ただ「源氏の嫡流」というブランド(自称)だのみで兵を挙げた凡愚の大将であったなら、即刻攻め滅ぼしてその首級を清盛に差し出すつもりでもありました。
それならそれで「謀叛人を討ち果たした」大功をもって、ライバルたちにアドバンテージをとれます。
どっちに転んでもいいように、広常が集めに集めた軍勢はおよそ二万騎(※『吾妻鏡』による。史料によって1,000〜20,000騎など諸説あり)。
対する頼朝公の軍勢は、石橋山の惨敗から海を渡って房総半島へと逃れ、やっとこかき集めた数百騎。
そこへ広常の二万騎が加わるとなれば、きっと下へは置かないどころか、頼朝公を我が意のままに出来るやも知れません。
「さぁて、そろそろ合流してやろうかのぅ……」
もはや頼朝公から催促の使者も来なくなったころ(きっと諦めたのでしょう)、ようやく重い腰を上げた広常は「大軍を連れて来てやったぞ。ほれ、泣いて感謝しろ」とばかりの態度で馳せ参じますが、頼朝公の返答は意外なものでした。