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古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【後編】

古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【後編】

ホケノ山古墳

 

●墳形:纏向型前方後円墳
●全長:約90メートル
●築造年代:約250年頃
●主な出土品:画文帯神獣鏡、鉄鏃、銅鏃、素環頭太刀、大型壺など
●被葬者:不明[但し、豊鍬入姫命(大神神社)、卑弥呼、台与など]

 

箸墓(箸中山)古墳の東側250メートルの場所に位置します。後円部には主被葬者を埋葬したと考えられる規模の大きな積石木槨(幅2.7メートル・長さ7メートル)があります。

その中には、埋葬施設を覆うように特異な切妻造りの建物が設けられていました。極端な言い方をすると、神社の社殿や宮殿の主殿を思わせるような建物のミニチュア版が納められていたような感じです。

 

埋葬施設は、この他にも前方部に葺石を壊して埋葬した箱型木棺があり、伊予あるいは讃岐で作られたと考えられる大きな土器が供献されています。また、後円部には墳丘を再利用して作られた6世末頃の横穴式石室があります。

 

数多い副葬品の中で注目されるのが、少なくとも2面出土している画文帯神獣鏡です。この鏡は、卑弥呼が魏から下賜された鏡としては年代的に三角縁神獣鏡よりふさわしいという説があります。西暦250年頃といわれる築造年代や副葬品から、邪馬台国論争に一石を投じる貴重な古墳の一つです。

纏向勝山古墳

 

●墳形:箸墓型前方後円墳
●全長:約100メートル
●築造年代:約250~270年頃
●主な出土品:板材(一部朱塗り)、U字型木製品、木製刀剣把手など
●被葬者:不明

 

最も古い年代を示す出土品として、周濠くびれ部より多量にヒノキ板材(一部朱塗り)が出土し、年輪年代測定をしたところ210年頃と測定されました。

土器による編年は、北側周濠内に投棄されたものが270年頃、後円部西周濠外縁内のものが180年頃と、約1世紀の差があります。しかし、墳形が箸墓型前方後円墳であることから、250年頃に落ち着く可能性が高いと思われます。

築造年代もさることながら、注目されるのがヒノキ板材です。ヒノキ板材は、葬送儀礼のために後円部に建てられていた建築物の可能性があります。儀礼後に壊され周濠に破棄されたと推測されますが、問題は一部が朱色であったことです。

もし、この板材が建物であったなら、朱色の建物は飛鳥時代以降の寺院建設からといわれる従来の説を覆すものになるからです。勝山古墳は、後円部など未調査の部分が多く、謎の多くは今後の調査の成果に期待されます。

4ページ目 東田大塚古墳、箸墓(箸中山)古墳

 

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