古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【後編】:4ページ目
東田大塚古墳
●墳形:箸墓型前方後円墳
●全長:約120メートル
●築造年代:約270~290年頃
●主な出土品:土器、木製品など
●被葬者(推定):不明
従来は、全長約100メートル弱の纏向型前方後円墳と見られていましたが、2007年の前方部の調査により、全長約120メートルの箸墓(箸中山)型前方後円墳とされました。
周濠内などから出土する土器は、270年に編年されるため、築造年代は3世紀後半に比定されます。
箸墓(箸中山)古墳
●墳形:箸墓型前方後円墳
●全長:約278メートル
●築造年代:約250~290年頃
●主な副葬品:壺型土器、特殊器台、土器、木製鐙など
●被葬者:倭迹迹日百襲姫命、卑弥呼、台与など
最古の前方後円墳と見られ、卑弥呼(没年約248年)の墓と提唱する研究者が多い古墳です。しかし、宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命の墓に指定されているため、主要部の本格的な発掘調査は行われていません。
築造年代は、後円部墳頂の壺型土器と特殊器台、前方部の特殊器台が宮内庁に所蔵されていることから、280~290年頃の築造と考えられています。
一方で、出土した土器に付着した炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ250年頃との測定結果が出ています。
墳形の特徴は大きく撥型に広がった前方部にあり、箸墓(箸中山)古墳を起源として、前方後円墳が全国に広がっていったことは考古学的な定説と考えて問題ないでしょう。
いづれにせよ、弥生時代末期(邪馬台国)と古墳時代(ヤマト政権)との関係を解き明かすカギを握る重要な古墳であることは間違いなく、今後の詳細な調査が期待されます。
長い文章にもかかわらず、2回にわたり最後までお読みいただきありがとうございました。