密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【後編】:2ページ目
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その後も絶えなかった政争と悲劇
恵美押勝の乱後も、皇位にからむ争乱は絶えませんでした。孝謙が重祚して称徳天皇になると、称徳は寵愛する道鏡を天皇位に立てようと画策します。この動きは称徳の崩御でなくなり、道鏡も失脚します。
称徳の後を継いだ光仁天皇は、聖武天皇の娘である井上内親王(いがみないしんのう)を皇后にし、その間に生まれた他戸親王(おさべしんのう)を皇太子に立て、政局の安定を図りました。
しかし、これが、藤原氏同士(北家と式家)による権力争いに巻き込まれ、772(宝亀3)年、井上内親王と他戸親王は光仁天皇を呪詛したとして、皇后と皇太子を廃されてしまいます。
親子はその翌年、別の呪詛事件の嫌疑もかけられ、庶民に落された挙句、不自然な死を遂げてしまうのです。
奈良時代は、784(延暦3)年に終わります。桓武天皇が即位し、都は長岡京へ遷都され、新たな時代へ歩み出しました。しかし、桓武側近の藤原種継が暗殺されるなど、政局はまだまだ安定せず、ここでも多くの血が流され続けたのです。
以上、奈良時代の政争について述べてきました。奈良というと悠久の歴史ロマン溢れる地というイメージがあります。しかし、その実態は、天皇・皇族・貴族による、血で血を洗う権力争いが続いた時代であることをお分かりいただけたでしょうか。
2回にわたりご愛読をいただき、ありがとうございました。
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