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明智光秀、豊臣秀吉などを見出した人材登用の天才・織田信長の能力主義とは?【前編】

明智光秀、豊臣秀吉などを見出した人材登用の天才・織田信長の能力主義とは?【前編】

世に隠れた優秀な人材を次々と登用

では、信長が数ある戦国大名の中で、所領を大幅に拡大し、天下布武に邁進できたのには、どんな理由があったのでしょうか。

その秘密は、信長が天下統一を成し遂げるために、多くの戦国大名が固執した隣国への侵略とは全く異ったビジョンを描き、桁外れのプロジェクトを展開したことにありました。

『天下統一』という一大プロジェクトには、より多くの優れた人材が必要なのは言うまでもありません。

現代でも、企業が従来の業績を凌ぐプロジェクトを展開し、大きく業績を伸ばすためには、専門分野に長けた新たな人材を必要とするのと同じ原理なのです。

祐筆衆をスカウトマンとして派遣、自らも採用を行う

こうした信長の姿勢に、仕官を希望する人々が続々と織田家へ押し寄せました。信長も、優秀な人材がいると聞くと、祐筆(右筆)をスカウトマンとして派遣し、面接を行わせたのです。

ちなみに祐筆とは、本来は、大名の手紙を代筆する書記の役目でしたが、信長は行政官僚として役目も与えました。たとえ戦いは不得手でも、文政面での才能があればそれを重視したのです。

信長の祐筆としては、武井夕庵、太田牛一などが知られていますが、武将としても行政官としても重用された村井貞勝もいます。

彼らは祐筆衆と呼ばれ、信長が必要とする人材をよく理解し、スカウトマンとしての仕事をこなしました。

そして、選ばれた人材には信長自身が最終面接を行い、織田家臣団に組み入れていったのです。

【後編】に続く……

 

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