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お江戸のタイムスケジュール 日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午後5時から午後7時頃】

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銭湯で一日の疲れを洗い流す

 

仕事が終わればまず銭湯に行って1日の汗と疲れを流します。江戸の人々はお風呂が大好きで、時間があれば日に3度4度と銭湯に行ったとも言われています。

江戸の銭湯は基本的には男女混浴でした。幕府は何度も“風紀を乱す”ということで男女混浴を禁止しました。

時間帯によって男性だけが入れる・女性だけが入れると分けたりしたようですが、いつのまにかまた“男女混浴”に戻ってしまうことが何度もあったようです。現代よりはずっとおおらかだったのですね。

 

日が暮れて涼しくなったら夕涼み

 

夏の暑さも日が沈み、涼しい風が吹いてきたら外へ出て夕涼みでもしたいというのが人情というものです。江戸時代もそれは同じで両国橋あたりで夕涼みをする人が大勢いました。

この絵で大勢の人ではちきれそうになっている橋は「両国橋」といいます。1657年、江戸で起きた明暦の大火の際に、大勢の町人が火事を逃れて隅田川を越えようとしたとき、そこには江戸の防衛のために橋は「千住大橋」しか無かったので沢山の犠牲者を生み出すことになりました。

そのため新しく武蔵国と下総国にまたがる「両国橋」を架けられました。橋の両側に火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わいました。

旧暦5月28日は両国の川開きが行われます。川開きの日に打ち上げられる花火を人々は心待ちにするようになりました。

川開きの日から、料亭の桟敷が川岸に組み立てられ、川沿いの道端には夜店が並び、川には小舟を繰り出して夕涼みをして遊ぼうという人達で賑わいました。この日をはじめとして、旧暦5月28日から8月28日までの間、連日見物の人や涼み舟でにぎわいます。

 

 

こちらの絵でも夕涼みが描かれています。涼みに出かけたはずなのに人混みで疲れるよりも、この絵のように気心の知れた者同士ゆったりとお酒でも飲みながら、月や夕顔の花を眺めて風に吹かれ寛ぐのもとても贅沢な時間だと思います。

3ページ目 宵の楽しみ

 

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