僧侶に残虐な仕打ち!破天荒エピソード満載、戦国大名・織田信長の生涯【その2】:2ページ目
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比叡山焼き討ち
信長の破天荒エピソードはさらにエスカレートしていきます。時は10年ほど下って1568年、38歳の時に信長はとんでもない事件を起こします。
室町将軍・足利義昭を奉じて上洛し、紆余曲折を経た後、彼の天下統一を阻んだのは寺社勢力でした。中でも手を焼いたのは比叡山延暦寺。
当時の延暦寺は絶大な権力を誇り、貴族らの寄進を受け大きな領地を所有していたほか、滋賀の坂本の港を所有して通行料を得て莫大な資産を蓄えていました。それでも僧侶全員が真面目に修行しているならいいのですが、権力にかこつけて一部の僧は女色にふける生臭ぶり。
挙句、敵対する戦国大名、浅井・朝倉氏に協力して匿ったり、武装した僧兵も増加の一途、正直信長の神経逆撫でしまくっていました。
怒りを募らせた結果、1571年(元亀2年)9月に起こったのが比叡山焼き討ちでした。
延暦寺は「残らず放火」、「男女三、四千人死亡」など被害の甚大さが後世にも伝えられています(真偽に関しては諸説あり)。
破天荒で片付けるにはあまりに残虐なこの仕打ち、これ以来、信長は僧侶によって「第六天魔王」=悪をもたらすものと呼ばれるようになるのです。
【その3】につづく
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