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16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【上】

16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【上】:2ページ目

いざ初陣!一ノ谷の合戦で、熊谷次郎直実と一騎打ち!

そんな敦盛が初陣を飾ったのは、16歳となった元暦元1184年2月7日。後世「一ノ谷の合戦」と呼ばれる激戦に、悲壮な覚悟(※)で臨んだことでしょう。

(※)治承四1180年に源頼朝(みなもとの よりとも)公はじめ東国各地の武士たちが次々と叛旗を翻す中で清盛が病没、あれほどの栄華を極めた平家一門は、京の都を追われるまでに衰えてしまいました。

一ノ谷の合戦に敗れた敦盛たちは、洋上で待機していた味方の船まで逃げようとしたのですが、そこへ直実が挑発します。

「あれは大将軍とこそ見参ら候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせ給ふものかな。返させ給へ」
※『平家物語』敦盛最期より。

【意訳】あそこにいるのは名のある大将に違いない(身に着けていた甲冑の高級感はもちろん、その着こなしや立ち居振る舞いにも品格が備わっていたのでしょう)……おい、みっともなく敵に背中を見せるな。戻って来て俺と勝負しろ!

まだ若い敦盛は挑発に乗って直実と一騎討ちに臨みますが、歴戦の勇士と初陣のヒヨッコでは勝負になりません。あっけなく敦盛を取り押さえた直実は、少年のあどけなさを残した敦盛の美貌にハッとします。

(何だよコイツ……ウチの小次郎と同じくらいのガキじゃないか……)

今回の合戦で直実は嫡男の熊谷小次郎直家(こじろう なおいえ)を連れて来ており、晴れの初陣で勇敢に戦ったものの、負傷したため後方に退がらせたばかりでした。

(俺は小次郎が怪我をしただけで、あんなにも狼狽えてしまったのに、もしこのガキが首を掻っ切られたなんて知ったら、父親はどれほど悲しむことだろう……)

いちど父親としての自覚を取り戻してしまうと、いざ喉笛を掻き切ろうと脇差を握った手も、ガタガタ震えて仕方がありません……そんな直実は、どのような決断を下すのでしょうか。

【続く】

※参考文献:
杉本圭三郎『平家物語(九)』講談社学術文庫、1988年
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』角川選書、2005年
石川透『源平盛衰記絵本をよむ 源氏と平家合戦の物語』三弥井書店、2013年

 

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