平安時代の超イケメン貴族・在原業平、単なるチャラ男ではなく野心家でもあった:2ページ目
業平の人物像については「日本三代実録」という史料に残されていて、それによると容姿端麗で自由奔放、漢学には疎いが和歌に優れていたそうです。
業平が生きていた時代は、女性に和歌を送り、和歌が選ばれた男性だけが女性の家に通うことが許された時代、「和歌がうまい」というのは当時のステータスとして、「女性を口説くのがうまい」というのと同じことを意味していました。
一方で、漢学が得意ということは菅原道真でわかるように、学問一筋の学者タイプ。硬派なイメージです。つまり業平は、良家のボンボンでイケメンタイプ。勉強は得意ではないけれど、女の子を口説くことは超天才的な才能を発揮したということです。
実際、日本最初の歌物語である『伊勢物語』(10世紀前半に成立)の主人公とされ、清和天皇の女御だった藤原高子とも恋仲だったとされています。業平は高子をはじめ生涯に3733人の女性と関係があったといわれています。
ここまでみていくと、在原業平は血筋もよく、何不自由のない暮らしをしながら日々、好みの女性を物色している能天気な男のようなイメージがあります。
ところが…