金鳥の夏、日本の夏♪蚊取り線香はいつからあった?蚊と人間の血をめぐる攻防:3ページ目
発想の転換・蚊帳の誕生
喜多川歌麿 「婦人泊まり客之図」
日本の家屋は昔からとても開放的な造りでした。窓というものもなく、外と家の区切りとしては壁以外には“障子”や“雨戸”といったものでした。“雨戸”はその名のごとく雨が家の中に降り込むのを防ぐ戸であり、寒さを感じない時期には開け放していました。外からの目隠しにすだれを下げたりするくらいで、夏に蚊の部屋への侵入を防ぐものがなかったのです。
そこで登場したのが「蚊帳」です。上掲の浮世絵で描かれているのは蚊帳を部屋に吊るしている様子です。蚊を燻しだすよりも、自分が網(蚊帳)の中に逃げ込んで、蚊から身を守りました。
蚊帳は日本書紀に初めてその存在の記載があることから、奈良時代ころから使用されていました。しかしそのころの蚊帳は絹で作られていたので、身分の高い人にのみ使用されるものでした。しかし蚊帳の素材が絹から麻や木綿に変わっていったことで、江戸時代には庶民にも浸透していきました。
香蝶楼豊国,一陽斎豊国(歌川国貞)「両国にわか夕立」
この絵では、右の女性は夕立の雨が降り込まないように雨戸を閉め、中央の女性は行燈や蚊遣り火をつけるために火打箱で火をおこし、左側の女性は蚊帳を吊ろうとしています。蚊帳の中に入れば雷よけになるとも信じられていたのです。このように蚊帳は庶民の生活に溶け込んでいきました。
昭和30年代頃に網戸が日本に定着するまでの長い間、蚊帳は日本人に愛用されてきました。筆者も幼い頃、夏休みに祖母の家に行くと夏の夜は蚊帳を吊ってもらいました。なんだか特別な空間のようでワクワクしたものです。ちなみに祖母の家にも網戸はあったのですが、習慣のようになっていたのかもしれません。
さて、冒頭でご紹介した「金鳥の夏 日本の夏 ふきん」ですが、金鳥のマークをよく見ていただくと右側に“蚊帳生地”と書いてあります。左側には“MOSQUITO CLOTH”とも。つまりこの「金鳥の夏 日本の夏 ふきん」は「蚊帳」の生地で作られた“ふきん”なのです。
中川政七商店は1716年に高級麻織物の卸問屋として創業し、現在は日本の工芸をベースにした生活雑貨を生み出しています。同社でロングセラーとして愛されるのが、蚊帳生地のふきん。生活様式の変化によって需要が減った奈良県の特産品である蚊帳生地をふきんに再生し、大ヒットしました。
蚊は刺されてかゆいというだけでなく、病原菌を媒介する害虫でもあります。“金鳥の夏日本の夏ふきん”は、長い時を経て、日本人を蚊から守ってきた「蚊取り線香」と「蚊帳」という文化のコラボレーションだったのです。