情報屋?それとも仕官先探し?「武者修行」の本当の目的はなんだったのか:2ページ目
2ページ目: 1 2
史上有数の剣豪・上泉伊勢守秀綱の武者修行
また、史上有数の剣豪とされる上泉伊勢守秀綱という人物は、1562(永禄五)年、自分の創始した新陰流を諸国に広めるために武者修行に出たときなどは、一族郎党を引き連れ大名行列を組んだとされています。ところが、秀綱が旅に出た本当の理由は、武田信玄に攻められ、身を寄せるところがなくなってしまったためだったとか。
武者修行の目的は徐々に「仕官先探し」に
当初は、純粋に腕を磨くことが目的だった武者修行も、応仁の乱を経て戦国時代に突入すると、その目的が仕官先探しに変わっていったのです。
もしも旅先で戦が起これば、それはチャンス。「陣取り」として軍に加わり、手柄を立てれば褒美ももらえ、うまくいけば召し抱えてもらえたりするからです。
また、彼らは、単に旅をするだけでなく、各地の地形や大名家のお家事情、家臣の様子、武器や兵糧の量などを調べながら旅をしていました。
それらの情報は、各地の戦国大名たちにとって、戦乱の世を生き抜くため必要な情報だったために、これらの情報を提供するだけで厚遇を受けていたに違いありません。
戦国の世はこのようなノマド武士たちによって支えられていたのかもしれません。
それにしてもこの時代の武将たちは、強か(したたか)だったんですね!
ページ: 1 2