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鬼太郎の原型を作ったのは危険人物?ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【3】

鬼太郎の原型を作ったのは危険人物?ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【3】:2ページ目

“鬼太郎の原型”を作ったのは、デカダンスな危険人物だった!?

まずはストーリーを作った伊藤正美が、どんな人物であったかを見ていきましょう。

伊藤正美は兵庫県神戸市出身。「関西学院にまなんでいたがデカダンスだった」と、加太こうじは著書『紙芝居昭和史』(岩波書店)に記しています。加太は紙芝居作家であり、水木しげるが「鬼太郎」を生み出すきっかけを作った人物です。

デカダンスは直訳すれば「虚無的・退廃的な生活態度」となるでしょうか。学生時代の伊藤についてはこんな逸話があったといいます。

・酒をよく飲んだ。
・神戸の元町通りで、店先にあったタヌキの置物を蹴飛ばしてこわした。
・交差点で手動の信号台に上がって、勝手に信号を送り、交通を大混乱させた。(当時は信号機がなく、交通巡査が整理していた)
・酔っぱらいを取り締まる警官に大八車にしばりつけられて、警察に連行された。

なにやらデカダンスというより暴れん坊ですね。では伊藤は危険人物だったかというと、必ずしもそうではないようです。伊藤は仲間と冗談を言い合うのが好きだったといいます。場を盛り上げるために、ちょっと話を盛ったのかもしれません。

当時、若き紙芝居作家たちは気の合う同士でグループを作り、喫茶店やミルクホールに集まりました。小説家志望や画家志望も多く、話題の中心は芸術論でした。

この頃の喫茶店は文化サロンであり、伊藤らもジャズやタンゴが流れる店で、文学や映画や紙芝居の未来について語り合ったのです。かといってまじめな話ばかりでなく、伊藤を中心に、文学論は冗談のやり取りへと脱線していきました。

3ページ目 神戸生まれの伊藤正美が、東京で紙芝居作家になるまで

 

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