こんなにいた!遣り手、若い衆…吉原遊廓の妓楼(女郎屋)の中に暮らす人々:2ページ目
遣り手(やりて)
いわゆる「遣り手ばばあ」とはここからきています。妓楼には、女郎の世話を焼く中年女性がかならず1人いました。それが遣り手です。遣り手のほとんどは元女郎。女郎として年季(何年間働きますという奉公の契約)を勤め上げ、借金を返し終えても吉原に残る道を選んだ、ある意味吉原最強の女性かもしれません。それだけに現役の女郎にはとても厳しく、逐一監視して小言を言ったり、悪さをすれば折檻したりと、嫌われる仕事を率先して請け負っていました。
画像:左から、禿(かむろ)、花魁、遣り手 Wikipediaより
若い衆(わかいし)
吉原の妓楼に勤め、接客対応する男性の事を若い衆や若い者と呼びました。彼らの仕事は多岐にわたります。例えば見世を取り仕切る番頭、2階を采配する廻し方、妓楼の入り口の台に座って見張りや呼び込みをする牛太郎(妓夫)、客の履物を預かり下足札をつけて下駄箱にしまう下足番、花魁道中の際に先頭を歩く金棒引き、花魁に傘を差す傘差し、花魁に肩を貸す肩貸しの男衆など。
画像:花魁に傘を差す若い衆(若者)の図
文・十返舎一九/絵・歌麿「青楼年中行事 上巻」国立国会図書館蔵