現代まで続く皇室との縁。縁結びの神として今も生き続ける、その後の大国主命:2ページ目
各地に作った血筋がドラマを生んだ…現代まで続く皇室との縁
大国主命が地上を明け渡してから長い年月が流れた後のことです。大和の国(奈良県)に比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)という女の子が住んでいました。日本書紀では「媛蹈韛五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)」と記載される彼女の父は、大国主命と同一人物とされるオオモノヌシ、ないしはコトシロヌシと言われており、いずれにしても出雲系の出自に変わりはありません。名前にあるタタラは、出雲で盛んであった製鉄で使われたふいごを意味しているともされます。
そんなヒメタタライスケヨリ姫に人生の転機が訪れたのが、彼女をお后にと望む皇子の来訪でした。その皇子と言うのがニニギノミコトのひ孫にあたる カムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命)。後の神武天皇です。カムヤマトイワレビコの求婚を承諾し、正室になったイスケヨリ姫は2代目の綏靖天皇を産み、その子孫が今の皇室へと繋がっていきます。