現代まで続く皇室との縁。縁結びの神として今も生き続ける、その後の大国主命:3ページ目
おなじみの神様としても知られるように
その後、大国主命は神武天皇の末裔である大和朝廷と密接な関係を保ちながら多くの人から信仰を集めます。11代垂仁天皇が溺愛する皇子が口を利けないのに悩んでいれば祭祀を条件として治癒させたのをはじめ、様々な場面で大国主命と出雲は登場します。
朝廷が仏教を大陸から導入した後は、大国と通じる仏教神・大黒天と合体して崇敬され、それは民間にも広がりました。そのため、昔話や童謡では明らかに大国主命であっても『だいこくさま』として描かれるくらいに浸透しました。
大国主命の持つ最強の武器とは
また、大国主命に服従したアメノホヒノミコトは出雲国造(いずものくにのみやつこ)となって子孫は出雲大社に仕え、今で84代目になります。その跡取りである千家国麿氏が皇室から『姫君様(出雲大社宮司の妻を指す呼称)』を迎えられた際にも、『大国主の大神様のお導きの下』と仰っていたのは記憶に新しいです。
ここで浮かび上がるのが、『大国主命の最強の武器=仁徳』ということです。一時は祟り神になりかけるものの、アメノホヒの命とその子孫が祭祀を請け負ったのを始め、敵側でも彼の人柄を慕う者が多くいました。
他にも、子供であるタケミナカタは各地の諏訪神社で親しまれ、娘(もしくは孫娘)のイスケヨリ姫に至っては後に初代天皇となる皇子のハートをも射止め、大和朝廷建設の立役者にまでなるなど、徳の高さは子孫世代でも健在です。
これらは、徹底抗戦して殺戮と流血で勝つのではなく、相手側との融和で存続を図った神様にふさわしいといえる事績です。そうした優しさと仁徳を持った大国主命は、縁結びの神として今も崇められています。もし、出雲大社へ参拝する時にはそうした大国主命の神話に思いを馳せてみると、より一層の幸せが得られるかも知れませんね。