あなたの「前方後円墳」の描き方は間違い!?江戸時代にあった古墳の築造に関するトンデモ説:2ページ目
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江戸時代のトンデモ説
実は、前方後円墳という名をつけたのは江戸時代後期の国学者・蒲生君平です。
当初、蒲生は古墳の形について「これは車を模したものだ」と考えていました。
もちろん車といっても、現在の乗用車ではありません。大きな車輪を二本の棒で引っ張る牛車や人力車のイメージです。
そう考えると、たしかに方形の部分が前で円形の部分は後ろになりますね。
ただ、蒲生の説が間違いだったことは明らかです。現在では、古墳時代にはそんな車など影も形も存在しなかったことが分かっているからです。今の時代から見れば、蒲生説はトンデモじみたものだったと言えるでしょう。
また、古墳時代の人たちが本当に「前方後円」と思っていたかどうかは不明です。そのうち新事実が発見され、「前円後方墳」に改められる可能性もゼロではありません。
私たちは、前方後円墳についてよく知っているようなつもりでいますが、本当のところはほとんど何も分かっていないのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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