満ちれば欠ける世の習い…残り数回、終盤の「光る君へ」史実を基に11月17日放送を振り返り:3ページ目
藤原為時の出家
長和5年(1016年)4月29日に三井寺(園城寺)で出家した藤原為時(岸谷五朗)。その理由は単に老齢のためとも、藤式部(まひろ)が亡くなったためとも言われています。
為時は生没年不詳ですが、実子のまひろが天禄元年(970年)誕生説を採っているため、そこから20歳以上の年長であればもう古稀(70歳)が目前です。
当時の感覚とすれば、出家どころか亡くなっていてもおかしくないでしょう。
また為時の出家が藤式部らの菩提を弔うためと考え、彼女が長和5年(1016年)ごろに亡くなったとする説もあります。
いずれの理由にしても、為時は寛仁2年(1018年)に藤原頼通に詩を献じて以降、記録がありません。
恐らく次回くらいで最期を迎えることになるのでしょう。
世渡りこそ疎かったものの、為時の文才は数々の作品を通じて現代まで受け継がれています。
- 『本朝麗藻』漢詩13首
- 『後拾遺和歌集』和歌3首
- 『新古今和歌集』和歌1首
大江匡衡(谷口賢志)から源為憲(ためのり)・源孝道(たかみち)に並ぶ非凡な詩人と評されました。