血で血を洗う戦乱の世に「信仰」で抗った男!戦国武将・高山右近の波乱の生涯とその最期:2ページ目
全てを投げ打って信仰を選ぶ
その後は荒木村重、織田信長、羽柴秀吉に仕えます。明智光秀を討った山崎の戦いや小牧・長久手の戦い、秀吉の四国攻めにも参戦しました。
高山右近は人徳ある人として知られ、蒲生氏郷や黒田孝高(如水)などの多くの大名が、彼の影響でキリシタンとなっています。
また前田利家も、洗礼こそ受けなかったものの右近の影響でキリシタンに対して好意的でした。
ところが、秀吉が1587年(天正15)にバテレン追放令を出すと、秀吉の側近だった黒田孝高はすぐに棄教しましたが、右近は信仰を守ることを決意します。彼は信仰と引き換えに領地と財産を捨て、世間を驚かせました。
さらに1614年(慶長19)には、徳川家康によって宣教師とともに国外追放を命じられる事態に。これは大坂城攻撃を前に、キリシタンが豊臣側につくことを防ぐための家康の計略でした。