血で血を洗う戦乱の世に「信仰」で抗った男!戦国武将・高山右近の波乱の生涯とその最期:3ページ目
マニラで賓客として迎えられる
右近は、妻のジュリアたち100人余りとともに、同年10月に長崎からマニラへ向けて出帆します。
そして43日後にマニラに到着。右近は、すでにイエズス会からの報告によって当地でも有名になっていたため、スペイン人のフィリピン総督や市民たちから礼砲で迎えられて賓客として遇されました。
しかし、長い航海と南国の酷暑で急速に衰弱。上陸から一か月ほどで熱病におかされ、翌年2月4日に64歳で亡くなりました。
葬儀は、総督の指示によって、イエズス会管区長の葬られるサンタ・アンナ聖堂でマニラ全市をあげて営まれました。
彼は、血で血を洗う戦乱の時代の中にあって、あくまでも自らの信仰を貫き通したのです。
右近の死後、家族は日本へ帰国。現在、石川県志賀町と大分市に直系子孫の二つの「高山家」が存在しています。
また、右近没後400年にあたる2015年(平成27)には、日本のカトリック中央協議会が右近のことを「地位を捨てて信仰を貫いた殉教者」として福者に認定するようローマ教皇庁に申請。翌年には教皇によって認可されました。
参考資料:刀剣ワールド
画像:photoAC,Wikipedia