血で血を洗う戦乱の世に「信仰」で抗った男!戦国武将・高山右近の波乱の生涯とその最期
洗礼から臨死体験まで
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての代表的なキリシタン大名に、高山右近(たかやまうこん)がいます。
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キリシタン大名と呼ばれた人物は大勢いますが、その中でも家や領地を投げ打ってまで信仰を貫いた大名は、唯一彼だけです。その強靭な信仰心と影響力から伴天連の大旦那という二つ名まで持っていました。
彼がイエズス会へ入会して「ジュスト」という洗礼名で洗礼を受けたのは1564年(永禄七)、12歳のときのことでした。
彼が早くからキリスト教に目覚めたのは、父親がキリスト教の教えに感銘を受け、すでに洗礼を受けていたからです。
右近の人生の重要な転換点となったのは、高槻城で和田惟長に仕えた時です。和田は、高山親子の人望を危険視して暗殺計画を立てていました。
右近は、和田から暗殺される危険を感じ取り、荒木村重の助言を受けて反対に和田を襲撃。こうして奪い取った高槻城が、高山家の居城となりました。
さらにこの襲撃時、右近も乱戦の中で大けがを負っています。首を半分切断されるほど深い傷だったという話もあり、彼は、約二か月間生死の境をさまよいました。
そして奇跡的に回復を遂げるまでの間の臨死体験が、彼にさらに深い信仰心を植え付けたと言われています。それ以降、右近はさらに精力的に領内でのキリスト教の布教に励むようになりました。