条件は美少年!?戦国時代、武将のそばで仕えていた若侍「小姓」とは結局、何だったのか?
室町時代や戦国時代などがお好きな方は、このあたりの時代によく「小姓(こしょう)」という言葉が出てくることに気が付くのではないでしょうか。小姓は、武将のそばで仕え、さまざまな雑用を担った武士の役職のひとつです。
「男色」の対象ともなったというようなインパクトの大きな側面が注目されがちな小姓ですが、この記事では、小姓が実際にはどのように始まり、具体的にはどのような仕事をしていたのかなど、基本的なことを丁寧に解説していきたいと思います。
※あわせて読みたい記事:
お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【前編】
伊達政宗といえば、仙台藩の初代藩主として東北の繁栄を築いたことで知られています。現代でも「好きな戦国大名ランキング」に必ずトップランクに入るほど、男性にも女性にも人気の高い大名です。乱世を駆け…
小姓のルーツは室町時代にあり
小姓のルーツは、室町時代、足利将軍のころまでさかのぼります。それ以前からも、戦いの際に着飾った少年兵で護衛部隊をつくるという風習もあったといわれています。
室町時代の有名な例としては、室町幕府初代将軍・足利尊氏の護衛をしていた「花一揆(はないっき)」という部隊。彼らの兜には梅の花がついていたことから、この名前がつきました。
見た目も大事!でも教養や気配りも
花一揆の大将は、とても美少年だったといいます。初代だけでなく、室町幕府第6代将軍・足利義教(よしのり)も華やかな衣装を来た美しい少年兵を儀礼に参列させていたそうです。
しかし、見た目の美しさだけではなく、幅広い知識や教養、作法、武芸を身につけていることが求められました。将軍の身の回りの世話、雑用などを行い、秘書的な役割を担いました。
ページ: 1 2