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【光る君へ】皇位継承の希望を絶たれ…藤原道長に未来を奪われた「敦康親王」の一人娘や子孫たちを一挙紹介

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敦康親王の孫娘1・祐子内親王

祐子内親王(ゆうし/すけこ) 長暦2年(1038年)4月21日生~長治2年(1105年)11月7日薨去(68歳)

後朱雀天皇と嫄子女王の間に誕生した二皇女の姉。母の崩御後は養祖父である藤原頼通の元で養育されました。

頼通の邸宅である高倉第(たかくらだい)にちなみ、高倉一宮とか高倉殿宮などと呼ばれたそうです。

長久元年(1040年)に准三宮(じゅさんぐう。皇后・皇太后・太皇太后に准ずる待遇)となりました。

生涯を独身で過ごしましたが、頼通の孫である藤原師通(もろみち。師実の子)を養子としています。

また文学方面に造詣が深く、祐子内親王のサロンではしばしば歌合(うたあわせ)が催されました。

女流歌人の祐子内親王家紀伊(~きい。出自は諸説あり)や菅原孝標女(たかすえ娘。『更級日記』作者)なども女房として仕えています。

延久4年(1072年)に35歳で出家し、承保元年(1074年)には白河天皇から二品(にほん。二位に相当)を与えられるも辞退しました。

もはや俗世を離れ、位階など無用と思ったのでしょうか。そして長治2年(1105年)11月7日に68歳で薨去します。

 

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