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【光る君へ】皇位継承の希望を絶たれ…藤原道長に未来を奪われた「敦康親王」の一人娘や子孫たちを一挙紹介

【光る君へ】皇位継承の希望を絶たれ…藤原道長に未来を奪われた「敦康親王」の一人娘や子孫たちを一挙紹介

一条天皇の第一皇子、しかも皇后が生んだ嫡男という正統な皇位継承候補でありながら、藤原道長によって未来を奪われてしまった敦康親王。

人々からは同情を集め、本人も風流と典雅に余生を送りますが、皇位継承の希望を絶たれた無念は察するに余りあるものです。

そんな敦康親王には、嫄子女王(げんし/もとこ)という一人娘がいました。

今回は彼女がつないだ敦康親王の血脈と子孫を紹介したいと思います。

敦康親王の娘・嫄子女王(藤原嫄子)

皇女二人を生むが…藤原道長の野望で皇位継承の前途を絶たれた敦康親王の一人娘・嫄子女王の生涯【光る君へ】

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長和5年(1016年)7月19日生~長暦3年(1039年)8月28日崩御(享年24歳)

母親は具平親王女(ともひら娘)。幼くして敦康親王と死に別れ、叔母(母の妹)である隆姫女王(たかひめ)の伝手により、藤原頼通の養女にされます。

後に後朱雀天皇(敦良親王)へ入内。先に入内していた中宮の禎子内親王(ていし/さだこ。三条天皇女)を皇后の座へ追いやり、自分が中宮となりました。

※もちろん三条天皇系の勢力を一掃したい頼通の思惑によるものです。

気まずい中でも後朱雀天皇とは夫婦円満で、皇女二人を出産しました。

しかし産褥によって崩御。一説には
「皇族でありながら藤原氏の娘として入内したことが、藤原氏の氏神である春日明神の怒りを買った」
と噂されたとか。自分で望んだ訳じゃなし、もしそれが事実なら理不尽過ぎます!

2ページ目 敦康親王の孫娘1・祐子内親王

 

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