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【光る君へ】皇位継承の希望を絶たれ…藤原道長に未来を奪われた「敦康親王」の一人娘や子孫たちを一挙紹介

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敦康親王の孫娘2・禖子内親王

禖子内親王(ばいし/みわこ) 長暦3年(1039年)8月19日~嘉保3年(1096年)9月13日薨去(58歳)

後朱雀天皇と嫄子女王の間に誕生した二皇女の妹。生後10日目にして母を喪い、養祖父の藤原頼通に養育されたと考えられます。

寛徳3年(1046年)3月24日、異母兄の後冷泉天皇(親仁親王)の即位に伴い、8歳で賀茂斎院に卜定(占いで抜擢)されました。

賀茂斎院(かものさいいん)とは賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)に奉仕する未婚の皇女で、伊勢の斎宮(さいくう/いつきのみや)と合わせて斎王(さいおう)と呼ばれます。

※賀茂斎院と伊勢斎宮では、京都からほど近い賀茂斎院の方が人気だったとか。

しかし元から病弱だった禖子内親王は20歳となった康平元年(1058年)4月3日に賀茂斎院を退任。長く闘病生活が続きました。

生涯を独身で貫き、姉と異なり養子などもとっていません。

それでも健気に生きた禖子内親王は、姉と同じく幼少期から和歌に秀でており、生涯で25回以上もの歌合を開催したそうです。

やがて晩年になると出家し、嘉保3年(1096年)9月13日に58歳で薨去したのでした。

終わりに

【敦康親王の略系図】
……円融天皇―一条天皇―敦康親王―藤原嫄子(嫄子女王)―祐子内親王=藤原師通(頼通の孫)……

今回は敦康親王の子孫というテーマで、三人の女性たちを紹介しました。

祐子内親王と禖子内親王は子供を生んでおらず、敦康親王の血統は2代先までで絶えてしまいます。

それでも祐子内親王が藤原師通(道長の曾孫)を養子としており、名分上は敦康親王の子孫と言えるでしょう。

この中でNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場チャンスがあるのは辛うじて嫄子女王くらいですが、果たして登場するのか気になりますね。

※参考文献:

  • 坂本賞三『藤原頼通の時代 摂関政治から院政へ』平凡社、1991年5月
  • 藤井譲治ら『天皇皇族実録30 後朱雀天皇実録』ゆまに書房、2007年12月

トップ画像:「光る君へ」公式サイトより

 

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