「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【前編】:3ページ目
棟梁たちの正体
実はそうした「棟梁」たちは、いずれも貴族の藤原氏が祖であったり、「清和源氏」「桓武平氏」の名の通り、皇族の血を引いていました。
彼らは都の有力貴族・皇族を祖とする者が地方に行き、地元の勢力にその名望から受け入れられて担がれたような人々だったのです。
とはいえ、彼らは地方に自分たちの領地を保有して支持層を養いながらも、官位・官職を得て都で生活をしていた人々でした。地方に完全に土着していたわけではなく、武力で朝廷に仕えている立場だったのです。
このように、畿内・近国にいながらにして朝廷の武官となった武士たちは武者と呼ばれていました。
こうした武者たちはもともと貴族である場合も多く、「文」ではなく「武」で仕える存在として昔から存在していました。
古くは飛鳥時代の阿倍比羅夫、平安時代初期の坂上田村麻呂、そして藤原純友の乱を鎮めた小野好古などは、武官としての官位を授かっています。
そして彼らの中には、貴族に仕えて公家の家政や護衛を担った者たちもいます。これが貴族の身辺に侍る者として侍と呼ばれるようになりました。
畿内で藤原氏に仕えて勢力を拡大した河内源氏や、院の警固で北面の武士として活躍した伊勢平氏などがその代表例といえるでしょう。
次回の【後編】に続きます。
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「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【後編】
再編成された「武者」たち【前編】では、いわゆる「武士」たちの祖は無法者による武装集団だったとは限らず、貴族にまでルーツを辿ることができる人たちもいたということを説明しました。[insert…
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社