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幕末期に日本が植民地化されなかったのはなぜ?徳川幕府の採った対策と欧米諸国の状況から読み解く

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幕府と徳川慶喜による列強対策

一般的には、日本の諸藩が江戸幕府を倒して中央集権体制をつくり、近代化政策を急速に進めたことが要因だと考えられることが多いです。

しかし史料をつぶさに見ていくと、江戸幕府は決して諸外国の脅威に対して策を講じていなかったわけではなく、開国前から対策を練っていました。

そのきっかけとなったのは、天保14年(1840)に起きたアヘン戦争です。アジアの大国である清がイギリスに敗れたことで、幕府は対外政策を変化させざるを得なくなりました。

例えば天保13年(1842)には異国船打払令を廃止するなどし、外国船舶への態度を軟化させました。また開国後は特にフランスとの関係を強化して近代化政策を実施しています。

また、徳川慶喜の動向も無視することはできません。

大政奉還後、慶喜は薩長との衝突を予測し、内乱が起きた場合、不干渉の立場を保つよう諸外国に依頼しました。

さらに鳥羽伏見の戦いが始まったときも、イギリス・フランス・アメリカ・オランダ・イタリアの公使に対し、不干渉と中立の立場をとるよう要求し、公使たちはこれを受けて局外中立を宣言したのです。

こうした下地があったからこそ、日本の内乱に諸外国は干渉しなかったのです。

諸外国の脅威に立ち向かうために討幕を行った薩長に負けず劣らず、江戸幕府もまた、そうした脅威に対してギリギリまで粘って対抗策を講じていました。

3ページ目 植民地化どころではなかった列強

 

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