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なぜ中関白家と呼ぶ?「香炉峰の雪」の元ネタ、蔓延した疫病の実際…大河ドラマ「光る君へ」4月21日放送振り返り

なぜ中関白家と呼ぶ?「香炉峰の雪」の元ネタ、蔓延した疫病の実際…大河ドラマ「光る君へ」4月21日放送振り返り

相次ぐ放火

劇中でも言及されていたように、正暦5年(994年)2月に代理の後涼殿(こうりょうでん)・弘徽殿(こきでん)そして飛香舎(ひぎょうしゃ。藤壺)が放火により焼失しました。

果たしてこれは何者の仕業だったのでしょうか。

ハッキリしたことは書かれておらず、あまりにも身に覚えがあり過ぎたから、いちいち咎めなかったのかも知れませんね。

あるいは東三条院ではありませんが、大物過ぎて表立って事を構えたくない相手だった可能性も考えられます。

当時はあちこちで放火が横行しており、セキュリティ体制がどのようになっていたのか、興味はつきませんね。

蔓延する疫病

正暦5年(994年)1月から九州で痘瘡(天然痘)が蔓延。瞬く間に全国的な大流行となりました。

劇中では道隆が「高貴なものにはかからない」と嘯いていたものの、五位以上の中上級貴族が67名も死亡しています。

4月に入ると京都洛中に病人と死体があふれ返ったため、路上に仮設病棟を設けたり、薬王寺へ搬送したりなど対処しました。

しかし疫病の猛威は依然として収まらず、鳥や犬は死肉をたらふく食って丸々太り、骸骨が道路をふさいでしまう有様だったとか。

5月には死体で京都じゅうの水路が埋まってしまったため、検非違使は看督長(かどのおさ)らに命じて「汚穢」を掃除させました。

社会が混乱するとデマが飛び交うのは、いつの時代もお約束。「左京三条大路の南、油小路の西にある小井戸の水を飲めば疫病を免れる」と云々。

小井戸とは、水が少なく泥が深いため、普段は使わない井戸のこと。

噂を聞きつけた人々は、先を争って小井戸の泥水をすすり飲んだそうです。

そして6月16日。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が言及した通り、疫神が横行するとの妖言によってすべての家々が門戸を閉ざしました。

正暦5年(994年)4月から7月にかけて、京都の人口は半分になってしまったと言いますから恐ろしいものです。

第17回放送「うつろい」

さて、年は明けて長徳元年(995年・正暦6年)。疫病の猛威は依然として収まらず、高貴な人々も次々に倒れていきました。

大納言・藤原朝光:3月20日没(45歳)
大納言・藤原済時:4月23日没(55歳)
右大臣・藤原道兼:5月8日没(35歳)
左大臣・源重信:5月8日没(74歳)
中納言・源保光:5月9日没(72歳)
中納言・源伊陟:5月22日没(58歳)
大納言・藤原道頼:6月11日没(25歳)……道隆の庶長子

そして関白の藤原道隆も4月10日に病死してしまうのです(疫病とは無関係の模様)。

政府の高官が相次いで世を去ったことから道長に摂政の座が回ってくるのですが……果たしてそこまでやるでしょうか。

来週も急展開が予想されるので、眼が離せませんね!

トップ画像:「光る君へ」公式サイトより

 

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