江戸の女性は派遣の先駆けです!江戸時代の「下女」の仕組み。休暇や給金、「女中」との違いは何?:3ページ目
ちなみに「女中」との違いは?
もう一つよく耳にするのは「女中」ですね。「下女」とどう違うのでしょう。
実は正式には、女中は「上女中」、下女は「下女中」といいます。下女中を略して下女と一般的に呼ばれていました。
「女中」は商家や上層農家の娘などが、婚前に礼儀作法や家事見習いをかねて数年間奉公に出ることで、いわば本家や豪商のもとでの嫁入り修行の側面が強いものでした。
主に奉公先の稼業の手伝いや、来客時の接待や主人夫妻の身の回りのお世話などをします。
確かに時代劇でよく見る光景で、ある宅に訪問客がみえても、先に出てきて要件を聞く人物がいますね…! それを奥の間にいる主人に伝える場面はよく見る光景でしょう。女中はその家の恥にならぬよう一定の教養を持つ人物なので、こちらは民間の口入れ屋からというより、家から家の縁故での紹介がほとんどだったようです。
もう一方の下女中=「下女」は水回りを中心に行い、野菜や米を洗ったり、料理をしたり、雑巾がけの掃除などつらい体力仕事がほとんどでした。
どうでしたか。口入れ屋が働き口を斡旋してくれるとはいえ、女性が自立して働くのはなかなか大変だったでしょう。現代よりも格段に職業の選択の自由は少なかったといえます。
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参考:『ビジュアルワイド江戸時代』など