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超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】

超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】

出世した理由は…

しかし為時の父親(つまり紫式部の祖父)にあたる雅正の代からは受領(ずりょう)の地位に落ちていました。

受領とは、中央政界での出世が望めない中流貴族が、国司として地方の政務を司るようになったポジションのことです。

しかも興味深いことに、兼輔が公家になれたのは、政治家としての手腕を買われたからではありませんでした。実は彼は、歌人・文人としての才能が秀でていたのです。

例えば、今も語り継がれている「聖徳太子伝説」のベースとなった『聖徳太子伝暦』の編者は彼だと言われています。

また、上皇や天皇の命によって編纂された和歌集『勅撰集』でもなんと45首が選ばれており、後年には三十六歌仙の一人にまで数えられました。

【後編】では、さらに詳しくこの兼輔・雅正・為時・そして紫式部に連なる、いわば「インテリの系譜」を紐解いていきましょう。

【後編】の記事はこちら:

超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】

兼輔・雅正という人物【前編】では、紫式部の家系についてざっと説明しました。[insert_post id=215995]【後編】では、さらに藤原兼輔・雅正・為時・そして紫式部に…

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

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