超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】
兼輔・雅正という人物
【前編】では、紫式部の家系についてざっと説明しました。
超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】
藤原氏の系譜大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部。今回はこの人の出自について詳しく見ていきましょう。※合わせて読みたい:[insert_post id=215437][insert_…
【後編】では、さらに藤原兼輔・雅正・為時・そして紫式部に連なる「インテリの系譜」について詳しく見ていきましょう。
紫式部のひいおじいさんにあたる藤原兼輔は、賀茂川のほとりに屋敷を構えていたため「堤中納言」とも呼ばれていました。
彼は、かの紀貫之や凡河内躬恒などの一流の歌人たちのパトロンとしても名をはせていたといいます。
また、醍醐天皇のもとで和歌の振興につとめ、この時にはいとこにあたる藤原定方とも協力しました。
そして兼輔の長男である雅正も、歌人として有名になります。彼は父が亡き後も、紀貫之との親交を保ちました。また、女流歌人・伊勢などと和歌のやり取りができるほどの才能ある風流人だったのです。
ちなみに、ご存じ『後撰和歌集』では、雅正の歌が七首選ばれています。
【前編】でも解説しましたが、この雅正が紫式部のおじいさんにあたります。つまり雅正の息子が、紫式部の父親の藤原為時なのです。