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超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】

超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】

物心つく前に母を亡くした紫式部

為時は968年に播磨国(兵庫県南西部)の役所の三等官である役職に任ぜられました。彼が藤原為信女と結婚したのはこの時期で、その後の数年間で男子一人と女子二人をもうけています。

この女子二人のうち次女が紫式部です。

しかし彼女がまだ幼いころに、母の藤原為信女は亡くなってしまいました。紫式部が後年記した『紫式部日記』には母親の思い出が全く登場しません。このことから、母親は式部が物心つく2、3歳頃に亡くなったのではないかと考えられています。

このように見ていくと、紫式部は受領の階級ではあったものの、歴史に名を遺すほどの優れた文化人を輩出した家系の出身だったことが分かります。

また為時は教育熱心だったことでも知られており、そんな彼のもとで育てられた紫式部が文人としての才能を発揮するのは当然の流れだったと言えるでしょう。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

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