超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】
藤原氏の系譜
大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部。今回はこの人の出自について詳しく見ていきましょう。
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「紫式部」は本名にあらず今年の大河ドラマの主役として、何かと話題になる紫式部。もちろん『源氏物語』の作者として知らない人はいないと思います。[caption id="attachment_…
紫式部は、藤原為時と、その妻である藤原為信女の次女にあたります。
その姓からも分かる通り、両親は二人とも藤原氏の一族です。藤原氏と言えば、いわゆる大化の改新を中大兄皇子(天智天皇)と共に成し遂げた中臣鎌足の子孫です。中臣鎌足は、没する直前に天皇から藤原姓を賜りました。
さて、鎌足の子にあたる不比等には、四人の息子がいました。彼らはそれぞれ藤原南家・北家・式家・京家の藤原四家に分かれたものの、最終的には北家が最も強大な力を持ち、他の三家を圧倒します。
この時、北家の長となったのが藤原冬嗣です。
そしてこの冬嗣には複数人の息子がおり、紫式部の母である藤原為信女は冬嗣の長男の家系にあたります。一方、父の為時は六男の家系でした。