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超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】

超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】

六男・藤原良門の家系

ところで、冬嗣の息子たちの中で最も出世したのは、次男の良房です。

彼は嵯峨天皇の皇女と結婚して摂政の地位を獲得するなどし、天皇に代わって政治を行うようになりました。

そして、その良房の子孫である基経・忠平・師輔・兼家たちは、それぞれ関白や摂政の地位を絵て政治を取り仕切るようになります。

彼らが最盛期を迎えた時代こそが、紫式部や藤原道長が生きた頃でした。

ちなみに、同じ藤原北家の系統に属するものの、紫式部の父の藤原為時の系統はいまいちパッとしません。

為時は、藤原冬嗣の六男である良門の系統ですが、良門に続く利基・兼輔・雅正は権勢には恵まれなかったのです。

公家の中でも、中央政界の高官は特に公卿(くぎょう)と呼ばれますが、この良門の系統の中で公卿になれたのは兼輔だけです。彼は中納言の地位を手に入れました。この人が藤原為時のおじいさん(紫式部のひいおじいさん)にあたります。

3ページ目 出世した理由は…

 

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