『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜京都を固めた家康のトライアングル防衛線【前編】
これからお話しするのは、豊臣秀吉(演:池松壮亮)も秀長(演:仲野太賀)も亡くなった後のこと。いわば『豊臣兄弟!―その後』ともいうべきものです。
舞台は、京都とその東に隣接する近江、そして伊勢・伊賀。
登場人物は、徳川家康(演:松下洸平)、井伊直政・直孝父子、そして藤堂高虎(演:佳久創)の四人。
さてさて、どのようなお話になるのでしょうか。[前編][後編]の二回に分けて紹介します。
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家康が京都に築いたトライアングル防衛線
1598年(慶長3年)、一代の英傑・豊臣秀吉はその波乱の生涯に幕を閉じました。徳川家康は、そこから天下取りへの野望を顕わにします。
そして、1600年(慶長5年)、関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、1603年(慶長8年)に征夷大将軍の宣下を受け、ここに約260年続く江戸幕府が誕生しました。
と、書くと「何だ、そんな当たり前のことを」とおっしゃる読者はたくさんいるかもしれません。
確かにそうですね。でもここでは、関ケ原の1年後に家康が京都に築城した二条城に触れたいのです。今は、「世界遺産元離宮・二条城」と称される同城は、二の丸御殿に代表されるような豪華絢爛で美しい城です。外国からの観光客にも大人気、何とここを訪れる人の6割がインバウンドであるともいわれます。
さて、話を戻しましょう。二条城を訪れた人の多くが、あることに気付くのではないでしょうか。それは、本当にこの城で戦いができるのかということ。もちろん、二条城は徳川幕府が本気で造った城ですから、虎口の配置や石垣の造りを見てもわかるように、十分な防御力を備えた近世城郭です。
だから、将軍が京都に滞在中に非常事態が発生し、一時的に難を逃れるために籠る城としてはいいかもしれません。
しかし、二条城は大坂城などと比べると、余りにも小規模で、しかも平城なので、何万という大軍勢を相手にした際の防御力に優れているとはいえず、どちらかといえば戦闘用の城郭というよりは、徳川家の政庁として役目を担っていたのです。
そこで家康は二条城だけでなく、京都東側に位置する金戒光明寺と知恩院という大寺院にも着目しました。これらの寺は高台にあり、広大な寺域を備えています。家康はその地形と構造を軍事的に活用できるよう整備し、事実上、城郭に準ずる拠点として機能させました。
つまり、二条城、金戒光明寺、知恩院で敵の京都侵入を防ぐトライアングル防御陣を構築したのです。
そして、この防御態勢こそが、家康が恐れていた「あること」に対する手段でした。




