【国際女性デー】世界に決して後れを取っていなかった、日本で初めての女性医師たちを紹介:2ページ目
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一方、1884年(明治17年)、医術開業試験の門戸が開かれ、国家試験を通った女医の第一号は、荻野吟子です。1851(嘉永4)年、武蔵国(現在の埼玉県熊谷市)に生まれた吟子は、結婚後、夫から淋病を移されてしまい、訪れた病院で、医師とその弟子たちの好奇と蔑みの視線を浴びました。
(自身のせいではないのに、このような屈辱を味わわされるのは何故なのか。医師に理解がないのは、彼らが全員男性であることに大きな原因があるのに違いない。このような目に合うのは、自分一人でたくさんだ)
そのように思った吟子は女医になろうと決心し、覚悟を決めて夫と離別して上京します。1870(明治3)年のことでした。
まず、甲府の私塾に通い、その後、女子師範学校で学びます。
女性が学問をするだけでも大変だった時代、ましてや女性が医学を学ぶということは、先例もなく困難を極めました。一方で、当時の医学界の重鎮・石黒忠悳が尽力したことにより、好寿院という私立の医学校で3年間学ぶことができました。
医術開業試験のときも、受験を拒否されそうになったといいます。その際、文部省医務局長でもあった長与専斎が、受験規則に女子は不可と明記されていない、とし、女性でも受験できるように取り計らいました。1885(明治18)年9月、見事試験に合格した荻野吟子は、日本で初めて医術開業試験を合格した女性医師となったのでした。
参考:加藤 純子『伝記を読もう 荻野吟子: 日本で初めての女性医師』(2016 あかね書房)
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