【島原の乱】敵を目前に「疝気(せんき)の虫」が発症、無念の死を遂げた三瀬源兵衛のエピソード【葉隠】
いきなりですが、皆さんは本番に強い方ですか?
中には日ごろの練習では強いのに、いざ試合になるとなぜか体調を崩してしまう人もいますよね。
そんな悩みは往時の武士たちも持っていたようで、今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠(葉隠聞書)』より、三瀬源兵衛のエピソードを紹介。
彼の悔しさを、共感できる方も多いのではないでしょうか?
陥落目前の有馬城にて
時は寛永15年(1638年)2月28日、有馬城が今まさに陥落せんとしていました。
この有馬城とは原城の別名で、後世に伝わる「島原の乱」も最終盤に差しかかったところです。
一揆勢を鎮圧するべく、次々と城内へなだれ込む寄せ手の一人・中野内匠は詰の丸までやってきました。
「おい、そこにおるのは源兵衛ではないか。いかがした?手傷でも負うたのか!」
うずくまっている源兵衛のそばに、急いで駆け寄った中野内匠。しかし源兵衛に外傷はないようです。
「おぉ、内匠か。わしは疝気じゃ……一歩も動けぬゆえ、組の者は先に行かせた。そなたが追いついたら、連中の指揮をとってくれ……」
疝気(せんき)とは下腹部の痛みを伴う病気の総称で、俗に男性器の炎症ともされました。病因が特定できないことから「疝気の虫」とも呼ばれます。
何が原因かはともかく、源兵衛は動けないほどの激痛に苦しんでいました。中野内匠は頼みを受けて先へ進み、源兵衛はその場に留まります。
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