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【島原の乱】敵を目前に「疝気(せんき)の虫」が発症、無念の死を遂げた三瀬源兵衛のエピソード【葉隠】

【島原の乱】敵を目前に「疝気(せんき)の虫」が発症、無念の死を遂げた三瀬源兵衛のエピソード【葉隠】:2ページ目

果たして戦は勝利したものの、源兵衛の様子は目付によって報告され、切腹を命じられてしまいました。

「三瀬源兵衛、腰抜けにつき、切腹を命ず」

「……是非に及ばず」

敵前逃亡でもしたならともかく、勇敢に戦っていながら突然の発症で不覚をとった源兵衛は、かくして非業の死を遂げたと言うことです。

終わりに

五五 有馬落城、廿八日、詰の丸にて、三瀬源兵衛あぜに腰掛け居り申し候。中野内匠通り懸り、仔細尋ね候へば、「疝気起り、一足もひかれず候。組の者は先に遣はし候間、下知頼み申す」由申し候。この様子、御目付言上、腰抜け候由にて切腹なり。昔は、疝気の事を臆病ぐさと申し候。計らず起りて、働きならぬ故にて候なり。

※『葉隠聞書』第六巻

以上、疝気のゆえに切腹させられた三瀬源兵衛のエピソードを紹介しました。

昔は疝気について、戦うどころか身動きすらままならない様子から「臆病ぐさ」と呼ばれたとか。

予防もできないのに切腹とは理不尽でなりませんが、源兵衛の他にも疝気で不覚をとった武士たちは少なくなかったのでしょう。

どうにもならないのも人生だと覚悟を決めて、後悔せぬよう生きるよりなさそうですね。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月
 

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