規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【前編】
林銑十郎とは何者か
皆さんは、林銑十郎(はやし・せんじゅうろう)という軍人・政治家をご存知でしょうか。林は昭和初期に陸軍のエリート軍人から総理大臣へとのし上がっていった人物ですが、特に大きな実績がないことから、名前を聞く機会は多くないかも知れません。
しかし昭和初期の政治史をつぶさに見ていくと、林は陸軍の軍人たちが暴走するきっかけを作り、また本人も軍人政治家として国会をかき乱して、「軍人が政治家になった悪い例」を顕著な形で示した張本人でもあります。
現に、歴史に詳しい人で、この林銑十郎という人物を高く評価する人はほとんどいないでしょう。そんな彼が、稀に見る強運で昭和の政治の世界を駆け抜けていったさまを三回に分けて解説します。
「鬼大尉」から出世コースへ
林銑十郎は1876年2月23日に現在の金沢市で生まれ、1894年7月に日清戦争が始まると四高補充科を中退して士官候補生となり、陸軍士官学校へ入校しました。
その後は歩兵少尉に任官し、1903年には陸軍大学校を卒業したあたりからエリート軍人としての道のりがスタートします。
1904年に日露戦争が始まると、林は歩兵第6旅団の副官として従軍します。そしてかの旅順攻囲戦に参加し、盤竜山の東砲台攻撃では、撤退命令を拒否して残兵70名を率いて占領するという快挙を成し遂げました。
この成果が認められた林は「鬼大尉」の異名で呼ばれるようになり、第3軍司令官だった乃木希典大将から個人感状を与えられています。
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