参考にしちゃダメ!?財政難に陥った薩摩藩の驚くべきブラックな藩政・経済改革【後編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
廃藩置県による棚ぼた
ではその後、この借金はどうなったかというと、廃藩置県による制度の変化によってチャラとなったのです。
明治維新後、新政府は旧幕府や旧藩の権力を剥奪するために廃藩置県を実施しました。これによって、旧藩は廃止されて県に統合され、旧藩主や旧家老は官職や俸禄を失います。
そして旧藩の法的・経済的な基盤が崩壊したため、借金の債権者や債務者の関係も曖昧になり、借金の返済を強制することは不可能になったのです。薩摩藩にとっては、廃藩置県という変革は棚ぼただったわけです。
また、返済期間250年という長い目で見ると、インフレによって金銭の価値が変動したこともあり、時代が下るにしたがって相対的に借金の金額は小さくなっていったとも言われています。
まさかそうなることまで予測していたわけではないでしょうが、長い目で見れば、そういう意味でも結果的に薩摩藩は「うまくやった」と言えそうです。もちろん、こんなやり方は今では到底認められませんし、誰でも真似できるわけでもありませんが。
薩摩藩といえば、幕末期には討幕派となり明治時代には長州藩と並んで新政府を牽引する役目を負ったわけですが、さらに深く見ていけば、倒幕を実現し新政府で権力を握ることによって、自藩の借金の踏み倒しまで実現させてしまったと言えるかも知れません。
ページ: 1 2