三河一向一揆の後どこ行った?本多正信の徳川家出奔から再仕官に至るまでの放浪旅【どうする家康】:2ページ目
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再び家康の元へ
ほどなくして加賀国を後にすると、大久保忠世のとりなしで家康の元に帰参。40石で召し抱えられ、初めは鷹匠として仕えました。
一度離れた徳川家に再び戻ってきたともあって、正信の扱いは酷かったようです。
しかし、天正10年(1582)に起きた天正壬午の乱において、家康が旧武田領を手に入れた際にあることをして、家康からの信頼を獲得します。それは旧武田領を統治しやすいように、武田家遺臣を徳川家に取り込んだことでした。
それ以降家康から重宝され、初期の江戸幕府の政治を支える人材として、家康にとって無くてはならない「友」となるのでした。
最後に
三河武士という武闘派集団の中で再仕官した後に頭角を出せたのは、正信が智謀に長けていたからだと考えられます。また、諸国を放浪して得た知見も正信の智謀に磨きをかけたと思われます。
正信の智謀を腐らせず、再仕官のとりなしをした忠世の見る目があったとも言えますね。
時代が平和になるにつれ、武勇は必要不要になるのは必然。その後は正信のような知恵が働く者が必要となったのは言うまでもありませんね。
※参考文献
中村整史朗『本多正信-家康に天下をとらせた男』PHP文庫、1995年
すずき孔『マンガで読む戦国の徳川武将列伝』戎光祥出版、2022年
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