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「下剋上」「戦国時代」もここから始まった!?乱世の発端になった明応の政変とは何か【後編】

「下剋上」「戦国時代」もここから始まった!?乱世の発端になった明応の政変とは何か【後編】:2ページ目

細川家の専制政治の始まり

こうして、京の制圧に成功した政元は、管領職を独占するようになり、悲願だった足利義澄の将軍就任を果たしたのでした。

もちろん、実際には足利義澄という人物は傀儡に過ぎず、これは細川京兆家による専制政治の始まりとなったのです。

細川政元によるクーデター「明応の政変」は、このように幕臣が将軍の首を意のままに挿げ替えたもので、いわば戦国時代の下剋上にあたります。しかも武力でもってこうしたことを成した点が、明応の政変こそが戦国時代の始まりだと考える研究者が存在するゆえんです。

ちなみに細川家は、もともと源氏に味方して戦った家柄で、源義清を祖先に持つ名門家です。彼の子孫が三河・細川郷に住んだことで細川という名字になりました。

南北朝時代には、細川氏は足利尊氏に就いて戦い、その功績が認められて、一門で八か国の守護職を任ぜられるようになったのです。

そして細川京兆家とよく言われますが、この京兆というのは右京大夫の唐名である京兆尹を指し、代々の党首がその官位を与えられたのでした。

このように、名門の家柄に生まれ、クーデターによって権力を握った細川政元でしたが、彼は最後には家臣に殺されてしまいました。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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