初代は結構イケてた? 通天閣が生誕100周年
スカイツリーが開業した2012年、コッテコテな大阪のシンボル・通天閣もめでたく生誕100周年を迎えました。といっても、今建ってる通天閣が100歳になるのではありません。あれは、1956年に建設された、二代目。100年前に建てられたのは、初代の通天閣。第二次世界大戦を挟むかたちで、初代が消え、二代目が再建されたというわけです。
初代通天閣は、「大阪」とか「通天閣」のイメージとは相当に異なったものだったようです。パリの凱旋門の上にエッフェル塔を乗っけたというというビジュアル、高さは東洋一、当時珍しかったエレベーターを装備。手前には「ルナパーク」なるものが作られ、通天閣との間をロープウェイで連絡。周囲の街路はパリを模して開発され、劇場など遊興施設も多数設置。あたり一帯が大阪の新たな歓楽街「新世界」として認知されるようになりました。おそらく現代のテーマパーク、あるいはショッピングモールみたいなもんだったんでしょう。
そんな「おしゃれ」な初代通天閣がなくなったのは、前述のとおり戦争のため。「戦況の悪化で資材が不足」「空襲でいい標的になる」などの理由により、解体。約30年の命でした。
戦後、二代目が再建されたものの、時代の流れと共に新世界の一帯は果てしなくディープ化。テーマパークというより人間のサファリパークのような状態となりました。しかし、初代創世期の「おしゃれ」な匂いは、ちょっとだけですが残ってます。通天閣の足元にある、通天閣本通商店街。入ってる店こそレトロだったり、コテコテだったり、メイドがいるインドカレー屋だったりとコンフュージョンですが、通天閣から放射状に道が伸びる地形が、パリの街路を模して開発された名残をとどめているのがわかるはずです。
あまりのコテコテさゆえ、それ目当ての観光客が増え、肝心のコテコテさが薄れてきた感もある通天閣と新世界。でも、誕生の経緯から考えると、観光客でいっぱいの姿の方が案外ふさわしいのかも知れませんね。