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「下剋上」は単なる反逆ではなかった!戦国時代にも存在した「御恩と奉公」の関係の実態をさぐる

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主君との格差はなかった?

こうした人たちは、家臣ではあるものの、それぞれ国人もしくは国衆などと呼ばれる一国一城の領主でもありました。主君(戦国大名)に従属はしていても、実際には主君との間にはっきりと身分的な差があったわけではなく、先述の通り、「御恩」に対して不満があればいつでも「奉公」を辞める権利がありました。

つまり、戦国時代の「御恩と奉公」は、鎌倉時代に比べると、格差のない自由契約に近い内容だったということです。戦国大名と家臣の間に、実は明確な格差があったわけではない点がポイントです。

「御恩」に不満があれば契約違反ということになるので、家臣は「奉公」せずに下克上を起こすことも許されていました。また大名の側でも、そうした事態が起こらないように忠誠を誓わせるための起請文を作成していたのでした。

このように見ていくと、いわゆる「下剋上」という行為は、単なる暗殺や地位の剥奪といった暴力行為ではなく、構造的なものだったと分かります。

参考資料
『歴史人』2022年5月増刊号「戦国家臣団大全」

 

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