江戸時代の宗教政策 ”宗門改め”とは?「踏絵」と「絵踏」の違いわかりますか?
みなさんは、「宗門改め(しゅうもんあらため)」という言葉を聞いたことがありますか?
宗門改めは、江戸時代にキリスト教を禁止するために、人々がキリシタンではないことを確認する制度のことです。
教科書に載っていた記憶がある、という方もいるかもしれませんが、この記事では、「踏絵」と「絵踏」の違いや、作成された宗門人別帳など、宗門改めに関することをまとめてご紹介します。
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宗門改めとは?
宗門改めは、江戸時代に江戸幕府によって行われた宗教政策です。
1637、38年(寛永14、15年)の島原の乱以降、特に強化されました。キリシタンの摘発を目的に行われましたが、次第に民衆統制政策、住民調査のような制度に移行していきました。
中身は変わっていったものの、この制度は長く続き、1873年(明治6年)のキリシタン禁制の高札撤廃で廃止されました。
宗門改めで実施されたこと
宗門改めで人々がキリスト教の信者でないことをチェックするために、さまざまなことが実施されました。
幕領・諸藩に宗門改役という役職を設置したり、キリストやマリア像を足で踏む踏絵(ふみえ)の実施したり、といったものです。また、寺請制度(てらうけせいど)を設け、人々がキリシタンでないことを寺院に証明させました。
民衆は、寺請証文を受けることを義務づけられていました。
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