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「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習

「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習

工藤祐経死す。鎌倉殿の元へ向かう五郎

曽我兄弟の襲撃は、翌5月28日の夜でした。

建久四年五月大廿八日癸巳。小雨降。日中以後霽。子剋。故伊東次郎祐親法師孫子。曾我十郎祐成。同五郎時致。致推參于富士野神野御旅舘。殺戮工藤左衛門尉祐經。又有備後國住人吉備津宮王藤内者。依与于平家家人瀬尾太郎兼保。爲囚人被召置之處。属祐經謝申無誤之由之間。去廿日返給本領歸國。而猶爲報祐經之志。自途中更還來。勸盃酒於祐經。合宿談話之處。同被誅也。爰祐經。王藤内等所令交會之遊女。手越少將。黄瀬川之龜鶴等叫喚。此上。祐成兄弟討父敵之由發高聲。依之諸人騒動。雖不知子細。宿侍之輩者皆悉走出。雷雨撃鼓。暗夜失燈殆迷東西之間。爲祐成等多以被疵。所謂平子野平右馬允。愛甲三郎。吉香小次郎。加藤太。海野小太郎。岡邊弥三郎。原三郎。堀藤太。臼杵八郎。被殺戮宇田五郎已下也。十郎祐成者。合新田四郎忠常被討畢。五郎者。差御前奔參。將軍取御劔。欲令向之給。而左近將監能直奉抑留之。此間小舎人童五郎丸搦得曾我五郎。仍被召預大見小平次。其後靜謐。義盛。景時承仰。見知祐經死骸云々。

左衛門尉藤原朝臣祐經

工藤瀧口祐継男

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)5月28日条

日付が変わって間もない子刻(0:00ごろ)、曽我兄弟は宿所に侵入して工藤祐経を殺害。一緒に泊まっていた王藤内(おう とうない)という者も一緒に斬ります。

その場にいた遊女の手越少将(てごしのしょうしょう)と亀鶴(かめつる)たちが悲鳴を上げました。続けて曽我兄弟も「父の仇、工藤左衛門尉。曽我兄弟が討ち取ったり!」と大音声に名乗りを上げたため、現場は大混乱に。

すわ何事か……狼藉者を討ち取るべく御家人たちが駆けつけたものの、雷雨の激しさと夜陰のため戸惑い、多くの者が曽我兄弟によって手負わされます。

平子有長、愛甲季隆、吉香小次郎、加藤光員、海野幸氏、岡部弥三郎、原清益、堀藤太、臼杵八郎。そして宇多五郎らは斬り捨てられました。

大いに暴れ回った曽我兄弟ですが、十郎は仁田忠常(演:高岸宏行)によって斬り捨てられ、五郎は頼朝のいる方へ駆けだします。

それを大友能直(おおとも よしなお)が引き留めている内に背後から小姓の五郎丸(ごろうまる)がとりおさえることに成功。

これでようやく騒ぎがおさまり、五郎の身柄は大見小平次(おおみ こへいじ)に引き渡されます。侍所別当の和田義盛と同所司の梶原景時が現場を検分し、祐経の死骸を確認したということです。

5ページ目 頼朝との対面

 

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