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「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習

「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習

初めて仕留めた万寿の獲物。喜ぶ頼朝に対して、政子の反応は

さて、女遊びばかりもしていられません。武士は古来「弓馬の者」と言われる通り、狩猟は弓射と馬術を披露する絶好の機会。

獲物を手に入れればその日の食事と土産話もできるし、何より遊女たちにもいいところを見せつけられます。

建久四年五月大十六日辛巳。富士野御狩之間。將軍家督若君始令射鹿給。愛甲三郎季隆本自存物達故實之上。折節候近々。殊勝追合之間。忽有此飲羽云々。尤可及優賞之由。將軍家以大友左近將監能直。内々被感仰季隆云々。此後被止今日御狩訖。属晩。於其所被祭山神矢口等。江間殿令献餠給。此餠三色也。折敷一枚九置之。以黒色餠三置左方。以赤色三置中。以白色三居右方。其長八寸。廣三寸。厚一寸也。以上三枚折敷。如此被調進之。狩野介進勢子餠。將軍家并若公敷御行騰於篠上令座給。上総介。江間殿。三浦介以下多以參候。此中令獲鹿給之時。候而在御眼路之輩中。可然射手三人被召出之。賜矢口餠。所謂一口工藤庄司景光。二口愛甲三郎季隆。三口曾我太郎祐信等也。梶原源太左衛門尉景季。工藤左衛門尉祐經。海野小太郎幸氏爲餠陪膳。持參御前。相並而置之。先景光依召參進。蹲居取白餠置中。取赤置右方。其後三色。各一取重之〔黒上。赤中。白下〕置于座左臥木之上。是供山神云々。次又如先三色重之。三口食之〔始中。次左廉。次右廉〕發矢叫聲。太微音也。次召季隆。作法同于景光。但餠置樣。任本躰不改之。次召出祐信。仰云。一二口撰殊射手賜之。三口事可爲何樣哉者。祐信不能申是非。則食三口。其所作如以前式。於三口者。將軍可被聞召之趣。一旦定答申歟。就其礼有興之樣。可有御計之旨。依思食儲。被仰含之處。無左右令自由之條。頗無念之由被仰云々。次三人皆賜鞍馬。御直垂等。三人又献馬。弓。野矢。行騰。沓等於若公。次列座衆預盃酒。悉乘醉云々。次召蹈馬勢子輩。各賜十字。被勵列卒云々。

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)5月16日条

「おぉっ、万寿が鹿を射止めたぞ!」

「父上……やりました!」

生まれて初めて獲物を仕留めた万寿。現代なら楽しい思い出で終わりますが、武士の子のそれは山の神様から一人前と認められた証しでした。

「狩りは中止じゃ。これより、矢口祭(やぐちのまつり)をせぃ」

初めての得物は山の神に供えられ、うやうやしく祭礼が始まります。義時はじめ御家人たちが執り進める様子を、頼朝と万寿が見守ります(祭礼の詳しい様子も描かれていますが、ここでは割愛)。

父上をはじめ、御家人たちみんなから祝福される万寿。さぞや誇らしかったことでしょう。

そんな万寿の「大手柄」をいち早く鎌倉へ伝えるべく、頼朝は梶原景高(かじわら かげたか)を政子(演:小池栄子)の元へ派遣します。

……が。政子のリアクションはドライそのもの。

「は?バカじゃないの?武士の子が鹿を射たから何だって言うの。まさかそんなことを伝えるためだけに、わざわざ来たんじゃないでしょうね!」

建久四年五月大廿二日丁亥。若公令獲鹿給事。將軍家自愛餘。被差進梶原平二左衛門尉景高於鎌倉。令賀申御臺所御方給。景高馳參。以女房申入之處。敢不及御感。御使還失面目。爲武將之嫡嗣。獲原野之鹿鳥。強不足爲希有。楚忽專使。頗有其煩歟者。景高歸參富士野。今日申此趣云々。

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)5月22日条

かの八幡太郎源義家(頼朝の高祖父)はかつて13歳で初陣を飾り(前九年の役)、敵を討ち取ったというのに、射返しても来ない鹿を射止めたくらいで調子に乗るなんて……平和ボケもはなはだしい。

と言うより、そもそも狩りだの軍事訓練だのと大義名分をつけて、どうせ黄瀬川あたりの遊女でも囲ってバカ騒ぎしているんでしょうよ!

「いえ、左様なことは……」

ないとは言えない……可愛そうに、面目を失った景高は再び狩場へと戻っていったのでした。

3ページ目 山の神の怒りを買ってしまった?

 

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