まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】:3ページ目
斉明天皇真陵の条件とは
多くの学者や研究者が斉明女帝の真陵として、牽牛子塚古墳を最有力候補としながら、その周囲にある岩屋山古墳、小谷古墳も有力とし、それぞれの視点で論争を交わしてきました。斉明天皇の真陵としての必要条件を整理してみると以下の5点に絞られます。
① 合葬墓であること
② 墳形が八角形墳であること
③ 石室は横口式石槨か終末期に分類される横穴式石室であること
④ 棺が夾紵棺(布などを型に漆を幾層に塗り固めた棺)であること
⑤ 大田皇女の墳墓が間近に存在すること
この5つの条件を全て満たす古墳が斉明天皇の真陵にふさわしいと考えられるのです。では、この条件を牽牛子塚古墳・岩屋山古墳・小谷古墳に当てはめてみましょう。〇=適当、△=可能性あり、×=可能性はあるが弱いとなります。
●牽牛子塚古墳
①〇 ②〇 ③〇 ④〇 ⑤〇
●岩屋山古墳
①△ ②× ③〇 ④△ ⑤×
●小谷古墳
①△ ②× ③〇 ④△ ⑤×
このように分類すると、すべての条件を完璧に満たすのは牽牛子塚古墳しかありません。
⑤の大田皇女の墳墓は2010年12月、牽牛子塚古墳発掘現場の一画から発見され、越塚御門古墳と名付けられました。
こうしたことから、現在ではほとんどの学者・研究者が牽牛子塚古墳こそ斉明天皇の真陵と確信するようになったのです。
大田皇女の墳墓・越塚御門古墳
2010年12月、牽牛子塚古墳発掘現場の一画から発見された越塚御門古墳。発掘された遺構は、底石の上に棺を納めるための墓室を持つ天井部の石を乗せるという構造で、明日香村にある鬼の俎板・雪隠古墳遺構と同じスタイルの横口式石槨でした。
墳丘の破壊が著しく、副葬品も発見されませんでしたが、赤と黒の漆膜片が数10点出土しました。
被葬者は漆塗木棺に埋葬されたいた可能性が高く、このことからその身分は天皇より一段下がる皇子・皇女と推測され、『日本書紀』の記述から被葬者は、大田皇女以外には考えられないとともに、牽牛子塚古墳=斉明天皇陵説の決定打となったのです。