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合戦前の作法、合戦後の手続き…乱世の戦国時代は意外と規律正しい時代だった!?

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合戦後も決められた手続きがあった

ここまでで、合戦そのものの作法や、合戦前のゲンかつぎについて見てきました。では合戦の最終局面で行われていたのは、どんなことだったのでしょう。そこには、戦後処理と言えるような手続きが存在していました。

浅井長政公自刃の地

①降伏
敗戦後に、敗けた側は自刃、処刑、流刑となります。
自刃は、これによって家臣たちの助命を願うこともあり、「潔し」として高く評価されました。
処刑は、罪人として扱われて河原などで斬首されるものです。
流刑は、領地から離れたところに強制移住されます。

②首実検
敵将の首を取った武士が、主君に報告する作業です。写真などない時代ですので、第三者による厳正な審査が行われたようです。

戦国時代、討ち取った敵の首はどうなる?首級が本物か確認する儀式「首実検」とは

古来、手柄を自慢して喜ぶ様子を「鬼の首をとったよう」などと言いますが、戦国時代の武士たちも戦場で倒した敵の首級を高々と掲げ、手柄を宣言する様子が現代に伝わっています。さて、敵を倒した証拠として…

③軍艦(軍目付け)
論功行賞を公平に与えるために、合戦の間、兵士たちの戦功や規律違反の有無を観察し、大将に報告する役目の武士が存在していました。恩賞に不平不満が出ないように差配する必要があったため、非常に重要な役割でした。

以上の手続きを踏んで、合戦は終了したのです。

合戦は命懸けでした。よって、戦国武将たちは合戦前に神社にお参りに行き、行動や食べ物に縁起を担いだのでしょう。

また、命を掛けて戦っているのですから、報酬は働きに見合ったものでなければ不満が出るのも当然です。大将としては、公平に扱いつつも下剋上を狙ってくる者が出てこないように警戒しなければなりません。

そうした配慮もあり、合戦前・合戦中・そして合戦後に至るまで、以上のようなルールが作られたのでしょう。

むしろ、ルール無用の戦国時代だからこそ、その分、儀式などは信念をもって大切に執り行っていたのかも知れません。

 

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