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縄文時代はなんと一万年以上もあった!(4)前期・物々交換が始まり集落にはストーンサークル?

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大規模集落の誕生

 

またこの頃から竪穴式住居が広場を囲んで集落を作るようになり、青森県青森市の「三内丸山遺跡」のような大規模集落も作られるようになります。

三内丸山遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型の掘立柱建物が存在したと推測されています。

そして集落が大きくなっていくとともに環状集石(ストーンサークル)が作られ始めます。

環状集石(ストーンサークル)

日本で一番最古の環状集石は、長野県諏訪郡原村にある縄文時代の「阿久遺跡(あきゅういせき)」に存在します。

 

阿久遺跡は縄文時代前期に30軒の住居と8基の“方形柱列”で構成されたことから始まります。この“方形柱列”とはまだ何なのか解明されていません。

大人一人がすっぽり入るくらいの穴が数個、正方形や長方形に並ぶ謎の施設で、これを“考古学”では「方形柱列」、「方形柱穴列」と呼んでいるのです。

そして縄文時代前期末葉には丘陵中央に大環状集石群(サークルストーン)が構築されたます。

この環状集石群の規模は長径120メートルで、約20万個の河原石をドーナツ状に配置したものです。

ドーナツ状リングの中央に立石構造があり大小24個の板状の角柱石と半径1メートルの円形に8個の平石が囲んでいます。

 

その周りに人骨を埋葬したと思われる竪穴と河原石を円形に積んだ集石遺構が多数取り巻いています。約700基余りの土壙墓があると推定されています。

上掲の写真にあるような中央の立石構造から、ドーナツ状の集石群の間を通して“蓼科山”を拝望できるように作られた祭祀場であったと考えられています。

人々の集落の規模はどんどん大きくなっていきました。そして人々はこの大規模集落や祭祀場を作る為に集団行動をするようになり、そこにはリーダーの存在や、専門的知識を持つ人の存在があったことが伺われます。

この頃の日本の人口は約10万5500人と推定されています。

次回、縄文時代はなんと一万年以上もあった!(5)中期に続きます。

 

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