縄文時代はなんと一万年以上もあった!(5)中期・呪術的な道具が作られ火焔式土器も誕生
前回は日本列島の海岸線がほぼ現在とおなじになり、気候は温暖で山や海の恵みが豊かになり、人々の道具や時も多様化、ムラの間で交易が始まったこと。そして居住規模が大きくなって、環状列石(ストーンサークル)が作られていたことなどをご紹介していきました。
縄文時代はなんと一万年以上もあった!(4)前期・物々交換が始まり集落にはストーンサークル?
今回は縄文時代(草創期・早期・前期・中期・晩期)の中期についてご紹介します。
縄文時代・中期(紀元前3,000年~2,000年頃)
このころから徐々に気温の低下がはじまり、日本列島の海岸線はほぼ現在の形へと落ち着きました。
気候的にはまだ温暖気候であり狩猟・漁労・採集は盛んに行われていました。しかし人々は少しずつ変化する自然に敏感に反応していたのかもしれません。
抜歯の習慣
このころ特筆すべきことは、主に成人を迎えた時や結婚をする時に「抜歯」をする風習が始まったということです。もちろん麻酔も止血剤も消毒液もないこの時代、健康な葉を抜歯することは死の危険が伴う行為ですし、強烈な痛みであったことでしょう。
しかし世界的に見ても、この抜歯をする風習は“奇習”という訳でもなく、さまざまな国で行われていた風習です。
他にも家族が亡くなった時や村の重要な役目についた時なども抜歯を行っていたことがわかっています。
この抜歯の風習は縄文時代中期に始まり、後期・晩期には盛んに行われるようになり、西日本の縄文晩期では成人のほぼ全員が抜歯を行っていて、社会制度として、抜歯が定着していたことを示しています。
何故抜歯が定着していったのかというと、共通する「痛み」を感じることで、家族や仲間達との精神的な絆を強めていたのではないかという説があります。
そこまでして連帯感を強めていかなければ、縄文時代を生き抜くことは簡単なことではなかったのです。
縄文時代のこの中期以降は人口が減少していきます。特に西日本は東日本ほど自然資源が豊かではありませんでした。
現在のように医療も情報伝達手段も、便利な交通手段も無く、なにか身を守る保険のようなものが何もない、“自然対人間”というシンプルな構造の中で生きることを想像してみれば自分のこととしてそれは実感できるのではないでしょうか。
これは縄文時代に人間同士の抗争が起こらなかった大きな原因といえるかもしれません。